2020-06-12 第201回国会 参議院 本会議 第24号
また、再開した学校も、教職員の献身的な努力だけではまさに学校崩壊、教育崩壊も起こり得る状況であります。教職員定数の抜本的な改善など、まだまだしなければならないことはたくさんあります。 このような課題山積の状況下、安倍総理御自身も百年に一度の国難と語られている現状で、開いている国会をあえて閉じようとは、一体全体、いかなる政治判断からなのでありましょうか。
また、再開した学校も、教職員の献身的な努力だけではまさに学校崩壊、教育崩壊も起こり得る状況であります。教職員定数の抜本的な改善など、まだまだしなければならないことはたくさんあります。 このような課題山積の状況下、安倍総理御自身も百年に一度の国難と語られている現状で、開いている国会をあえて閉じようとは、一体全体、いかなる政治判断からなのでありましょうか。
こういう予算の総額、今この学校や子供たちの学びが非常に危機的な状況にある、まあ医療崩壊も言われますが、教育崩壊、学校崩壊に近いような状況が実は現場である中で、対策としてこれで十分なんですか。担当大臣として、萩生田大臣、どのように認識をされていますか。
それで、学校崩壊の理由の中の一つ、全てとは言いませんが、理由の中の一つに、教育現場で行われている一般的な席がえがあるんだと私は思うんです。 多くの教室では、民主的教室運営なんという名のもとで、委員長、副委員長、書記が出てきて、大体くじ引きかなんかで席を決めるわけですね。
だから、家庭崩壊、学校崩壊、地域崩壊、職場崩壊が起きている。ですから、この問題というのは、日本の社会の枠組み、構造というものを、もう一度日本の良さを取り戻さなければなかなか根幹の解決にはつながらないと。
当時は、今は大分文句言ったので佐賀市だけは変わりましたけれども、学校崩壊が起きて、しかし、学校崩壊を起こした校長、まあ校長自身の責任が一〇〇%ではないんですが、それの処分を佐賀市教育委員会がしようとしたら県庁から待ったが掛かったりとか、非常に苦労しました。
それが家庭崩壊につながったり、今、教育特でやっていますけれども、学校崩壊につながったり、地域崩壊、今日質問させていただく職場の中にも、本当に職場崩壊が広がってきているということを私は一番懸念をしておりまして、そのことをもう一回、日本の良さというのを取り戻さないと、本当にこの先の日本、大変になってしまうというのが、実は先回大臣にもお伺いして、これだけ社員が使い捨てになっていくと、その人たちが十年後、二十年後
そして、特に学級崩壊、学校崩壊と言われているような学校は、私立学校よりも圧倒的に公立の小中学校が多いわけであります。 そして、教育というのは本来機会均等であるべきなのにもかかわらず、残念ながら、今の学区制という中では、その地域に住んでいればその学校に行くしかない。ところが、その学校は学校崩壊が起こっている。
先ほど来あるように、学校の不登校の背景に子供の虐待があるとか、さらに言えば、今、虐待を受けた子供たちがその後遺症としてさまざまな問題を学校で出してしまって学校崩壊、その結果、虐待を受けて養護施設に来ている子供に対して、学校はちょっともう出席してくれるなという、教育権の侵害というのが起こりつつあるんですね。
文部科学省主導のこれまでの管理教育により、学校崩壊、学力低下、地域の荒廃、キレる子供、規律ある自由を履き違えた大人といった弊害が噴出し、教育現場だけでは対応できなくなっているのであります。 今日の教育に必要なことは、知識教育だけではなく、広い意味での人づくり教育を行うことであります。
その大事な税金を生かす道というのは、私自身は、この心のノートではなくて、もっと具体的にきめ細かな、子供たちに消費者教育をする、環境教育をする、そしてまた性教育をする、三十人学級はいまだに現実のものとなっていない、副担任制もばらばら、学校崩壊、学級崩壊があちこちで深刻な状況になっている、不登校児童はふえるばかり、そのときに、本当にこんなことに税金を使われるということは、もうゆゆしきことだと思っておりますよ
そして、学校崩壊と言われるような事態、悲しむべき事態が各地で起こっているということ。その象徴的なものは、校長先生を取り囲んで生徒が校長に土下座をさせる、こんなこともあったと聞きますし、それを学校の先生がとめもしないでというか、なぜそういうことを教えられる生徒がするのか、そこまでいっておるかということですね。
例を挙げれば、学校崩壊、学級崩壊、授業放棄、教育の現場の荒廃は、もう目を覆うばかりであります。金融機関を初めとして、経済界、財界、産業界もこれまた大変なモラルハザードを起こしていることは、私が多くを申し上げる必要はないと思うんです。さらには、法曹というか司法の世界でも、まさに耳を疑うような出来事が報道されておるわけでございます。
学級崩壊とか学校崩壊なんということも言われておりますけれども、規律が守れないとか、あるいは倫理観がいま一つだと。これは人間形成の問題ですね。これに問題があるとか、あるいは基礎学力が低下をしている、こういうことが言われているんですね。 ですから、教育の場合には、掲げている理想的な目標と現実が非常に乖離してきているわけですね。その原因は何にあると思われますか。
社会的に今、よく学校崩壊とか社会崩壊が言われます。企業が悪い、大学が悪いのは企業が悪いからだと。いやいや、企業に言わせれば、大学の方が悪い。大学が悪いと言われた大学関係者が、いやいや、もう高校のときから悪いんだと。高校の関係者に聞いたら、いや中学が悪いからだ。中学の関係者に聞いたら、小学校が悪い。小学校に聞いたら、家庭が悪い。
戦後における家庭の教育力の低下というのは本当に著しいものがあるわけでございまして、学級崩壊や学校崩壊の大きな原因は家庭の教育力の低下にあるとさえ言われておるわけでございますけれども、これについての施策をいろいろと考えておられると思いますけれども、これについてどのようなことを考えておられるのか、お尋ねしたいと思います。
○阿部幸代君 今、学級崩壊とか学年崩壊とか学校崩壊とか起こっていて胸を痛めていますけれども、そういうことに至る中で、学習についていけなくなった子供が逆に学習塾に行ってもう勉強したくないと、そういう子供と一緒になって授業妨害をするということが起こっているんですね。 やはり生活指導中心の出席停止期間中の学習支援ということだと、本当の意味での学習支援にはならないというふうに思っているんです。
近年見られる学校崩壊や少年犯罪の増加は国家の個人に対する抑圧が強まった結果ではないでしょうか。 人間は抑圧されると反発します。子供たちの社会に対する反発は当然のことです。私の子供たちだって、私がぎゅうぎゅう怒るとすごい勢いで反発します。その自然な子供たちの反発を国家の指導を強化することで対処すれば、より大きな反発を招くことは必至のような気がします。
今日の学校崩壊の原因は、国が指導して、指導型教育制度が生み出す、教育の現場における生徒や先生方の無力感にあると思えて仕方がないのです。 私は、教育の現場にカリキュラムを初めとする教育システム全般の決定権を持っていただくことが何よりも大切だと思います。
だけれども、体制は整えても機能しないということになったら意味がないというふうに思いますので、私は時代背景として、学級崩壊、学校崩壊という言葉がありますように、学校の教職員だけに任せても学校も困る、責任を押しつけられても困るような事態になってしまっている、だから悩んでいると。大人が悩んでいるから、連帯しようじゃないかという試みで自発的にネットワークづくりが始まったと、こう理解しているわけです。
今、例えば学校の面で言われておりますのは、いじめの問題とか、不登校の問題とか、あるいはまた校内暴力の問題、さらに学校崩壊と言われるような現象が起こっている。それからもう一つ、片や落ちこぼれというか、落ちこぼしというか、学習が未達成のまま上級学校にそのまま進んでいってしまう。